“かがやき”に出てくる〈寂しいニュース〉という歌詞に、Homecomingsの福富優樹が、昨年7月以降のライヴで、そのフレーズを度々口にしていたことを思い出す。それが何を指していたのかは言及しない。けれども、2019年夏以降の4人は、悲しみにさいなまれ、喪失感とともにあった。現在ライヴで披露され、〈青い鳥よ このうたを運んでくれないか 背伸びじゃ届かないあの場所へ〉と歌われる新曲“Torch Song”は、弔いの歌である。とはいえ、この“かがやき”がレコーディングされたのは6月。ゆえに7月の出来事が、出発点たりえないのも自明だ。それでも不思議なことに、“かがやき”は“Torch Song”と双子にあたるような感情からスタートしたものとして聴こえる。
〈僕らに降る儚げな瞬間たち 永遠を忘れて 今があるだけだと これからもずっとそうだと 気がついた途端雨がきて僕らここを去っていく〉
〈さぁ永遠よ 寂しいニュースが届くより早く! 通り過ぎていくひかりを掴まえて〉
ずっとそばにいられると思っていたのに、突然の出来事が、僕らをはなればなれにしてしまう。この曲で描かれるのは、予期せぬ終わりに戸惑いながら、それでも〈決して消えない光〉を願う姿だ。そんな切なる想いを、前へ前へと羽ばたかせているのは、グルーヴィーな16ビートと爽やかなギターのストローク。ネオ・アコースティックめいたサウンドは、最新アルバム『Whale Living』に収録された“Hull Down”の姉妹編とでも言えるのかもしれない。そして、さりげないエレクトロニックな隠し味は、“Cakes”以降を感じさせる。
いつだってHomecomingsは、彼ら自身に起きた物語を、繊細な手つきで掬い取り、優しさと想像力で色づけ、誰かのストーリーとして歌ってきた。よるべなき心を抱えた少年が歩きながら見つめた夜の街の風景。ぎこちない2人が言葉にできなかった気持ちの行く末。それが彼ら自身の物語でもあるからこそ、Homecomingsの作品は、珠玉の短編集のごとき味わいを持ちつつ、友だちがひっそりと書いていた私小説を読ませてもらっているかのような親密さを漂わせてきた。
では、そうした私的な感情が根付いている“かがやき”という楽曲を、なぜHomecomingsはバンド単体ではなく、平賀さち枝とホームカミングスとして世に出そうと思ったのだろう。そこには、この曲を開けたものにしたいという想いがあったからではないか。もともと平賀の歌には、聴き手を重力からほんのわずかだけ解放させてくれるような軽やかさがある。彼女自身の心情を率直に綴っているようで、その可憐な声は誰のものでもない自由さを歌にもたらす。両者の初めてのコラボレーション“白い光の朝に”に宿る普遍性と思春期性の共存は、平賀の純度の高い歌とHomecomingsの初期衝動的でさえあった躍動感あふれる演奏が合わさったからこそなしえたものだ。
パーソナルな感情をスタンダードに昇華する。おそらく2019年のHomecomingsには、その過程が必要であり、彼らにとってもっとも近い他人である平賀さち枝は、4人が気持ちを預けられる歌い手であった。平賀が〈時の波に跳ね返る かがやき〉と歌った瞬間、聴き手は色味のない、まっしろな光を想像する。そして、最終的にこの曲は〈かがやきを超えて〉いきさえもするのだ。“かがやき”はHomecomingsが先へと進むためにどうしても必要な曲であり、それは平賀の存在なくして、なしえないものでもあった。逆に言うと、それほど彼らの傷心は深いものだったのかもしれない。“かがやき”と両A面をなす、平賀が作詞の“New Song”で、彼女はこう言葉を綴られている。
〈例えばどんな気持ちも全部わかってあげれたらいいのに〉
僕には生年月日がまったく同じ友達がいて、親友と呼べるほどの関係ではなかったのかもしれないけれど、どこか双子の兄弟のように思っていた。“かがやき”を聴いたとき、2016年に自死した彼のことを思った。ロマンティックで、熱狂的で、誰よりも繊細だった少年。キラキラした音楽が大好きで、ロックに人生を捧げた彼にも、このレコードが届けばいいのに。
文/田中亮太