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普段から、なんとなく思いついたことばや文字の並びをメモに書いておくようにしている。二枚目のアルバムのタイトルにもなった「Sale Of Broken Dreams」ということばも歌詞ノートの隅に適当に書いてあったものだし、もっと前の「Lemon Sounds」や「Paper Town」「I Want You Back」なんかは大学生の時に使っていた手帳に書いてあったワードだ。授業中に思いついたことばや、その合間の時間に観た映画に出てきて気に入ったワードを僕はよくその手帳に書いていた。アルバムや曲のタイトルで悩んだことはほとんどなくて、それは歌詞や曲のアイデアがメモやノートの隅っこから拾い上げたワードから浮かび上がることが多いからだ。『Sale Of Broken Dreams』も『Whale Living』もアルバムのタイトルをどうしよう?となってから考えたものじゃなくて、まずこのワード、タイトルが先にあって、そこからじゃあそのタイトルにはどんな物語が、どんな歌詞やメロディが、どんなリズムやどんな音があればいいのか、を考えて作っていっている。今まさに作っている真っ最中の次のアルバムも2年前からタイトルだけが浮かんでいて、そこからイメージを作っていったものだ。去年観た『最高に素晴らしいこと(All The Bright Places)』という映画がとても良くて、その主人公のひとりの真似をして作業机の前の壁に四角いメモを貼りはじめた。スケジュールや打ち合わせの内容や急いでやらないといけないこと、原稿やジャケットのアイデアなんかのメモの中に一枚のメモに大きくワードだけが書いてあるメモもある。それはいつか曲やなにかのタイトルになるかもしれないことばで、特に気に入っているもののメモにはちょっとしたイラストも書いている。文房具屋さんではなかなか売っていないSNOWMANというお気に入りのペンがあって、そのペンを使って細い線で描いたイラストは毎日目にしているうちにそのワードとしっかりセットになって、イメージが形になっていく。
今回のイベントのタイトル『Blanket Town Blues』はそんな壁のメモから形になったはじめてのワードだ。青色のペンで書かれた文字のバックに青色で書かれた小さな✗で描いた星と小さな家と自転車のイラスト。このことばがどこからきたものなのかははっきりとは覚えていないけれど、たぶんEELSの『electro-shock blues』というアルバムがきっかけのひとつにはなっているはず。今住んでいる街にぴったりなことばな気がして、いつかどこかのタイミングでと思っていたけど、こんなにすぐに出番がくるとは思っていなかった。元々は去年の夏にやる予定だったホールライブが、秋に延期になり、さらに延期になってクリスマス当日になった。そんな偶然あるか、とびっくりしたけど、ずっとクリスマスを大事にしてきたバンドとして絶対に良いものにしたいな、と思った。とはいえ後日の配信のこともあるし、バンドや世界のテンション的にもクリスマスパーティー!という感じではなかったし、ストリングスを入れた編成になることもアイデアとして出ていたので、クリスマスとちょうどいい距離感のコンセプトを考える必要があった。作業机に座って、さてどうしようかなと思った瞬間に壁のメモと目があって、すぐにみんなに『Blanket Town Blues』というタイトルにすることを伝えた。サヌキさんに街を描いてもらうとアイデアもステージにセットを組むアイデアもそのときに一気に浮かんできた。タイトルに引っ張られるようにして、僕の頭の中でいろんなことのイメージが膨らんだり縮んだりしながら形になっていった。まさかステージ上でメジャー・デビューの発表をすることになるとは思っていなかったし、直前に僕が左手を怪我してしまいめちゃくちゃ迷惑をかけることになってしまったけれど(当日僕の顔は痛み止めのせいでパンパンに膨れ上がっていた)、たくさんの人の手助けやアイデアのおかげでとても良いライブになったんじゃないかと思う。会場に来てくれた方も配信で観てくれた方もそのどちらにも本当に感謝しているし、よかったですよね?とひとりひとりに聞いてまわりたい。最後の最後、解体する前にステージのセットの前に並んだ4人の写真。詩織ちゃんが撮ってくれたその写真は、これから何度も観返すんじゃないかなってくらい良い写真で、壁に貼ったままにしているあの青いメモと一緒に、ずっと大切にしていきたい。
雪がたくさん降る町で育った。町というか、石川県そのものが雪がたくさん降る場所なので、市も校区も全然違う(方言すらちょっと違う)彩加さんの町にも雪はたくさん降ったはずだし、金沢だって輪島(地図でよくみるあのでっぱった部分)だって同じだと思う。とにかく冬には雪が降る。それ以外の季節も曇りの日が多いので、なんとなく思い出す風景の空は重たい。石川県の道路には左右を分ける車線のところから水が吹き出るシステムがあって、どれだけ雪が降っても車が通れなくなることはない。歩道の部分にはそのシステムがないので、駅から高校まで向かう道では歩道の雪の上を踏みしめて歩くか、水浸しの車道をばしゃばしゃ歩くかの二択になる。どっちを選んでも結局靴がびしょびしょになるので、換えの靴下は必需品だった。朝の教室には机と椅子のがちゃがちゃした音と話し声、暖房の匂いと湿った匂いがまざっていた。
雪が降る前には先に雪の匂いだけ降ってくる。遠くのほうからかすかにあのほこりっぽいようなカチンと鼻の奥を鳴らすような匂いがやってくる。それは石川でも京都でも、そして東京でも同じで、この間東京の街に雪が降ったときも、朝空気を入れようと窓を開けるとまっさきにその匂いを感じた。大きな川と丘が近いこの町には案外雪がよく似合う。どこにいてもその匂いは変わらないのに、いつでもそれに触れるたび石川のあの重たい空を思い出してしまう。今年の1月にでた鶴谷香央里さんの短編集『レミドラシソ』の中「ル・ネ」という石川が舞台の短編にも主人公が雪の匂いを遠くに感じるシーンがあって、誰かも同じように雪に匂いを感じて昔住んでいた町を思い出してるのかもしれない、と思うとなんだか嬉しくなってしまった。僕がいつまでも冬が好きなのも、そんなことが理由なのかもしれない。
住んでいる部屋は大きな川のそばにある。川沿いにはサイクリングロードがあって、僕が住んでいる向こう岸の方にはテニスコートがあったりベンチが並んでいたりしてちょっとした公園のようになっているのだけど、こちら側は特になんの整備もされていなくて、背の高い草がぼうぼうになっている。1つ目の緊急事態宣言が出された頃、僕たちの次のレコードの制作もなんとくぼんやりとしていて、とはいえライブもスタジオ練習もなくなったこの時間をだたぼうっと過ごすのも勿体ないので、メンバーそれぞれがデモを作ってみよう、ということになった。Homecomingsの制作スタイルはアルバムごとにばらばらなのだけど、ここ最近の『Whale Living』から『Cakes』まででできあがった、僕が歌詞と曲のイメージを伝えて彩加さんがデモを作り、それをみんなでアレンジするという形で落ち着きつつあったので、みんなが各々作曲をする、というのは新鮮なアイデアだった。もともとはほぼ半分の曲を僕が作曲をしていたのだけど、ここ最近では彩加さんがメインになっていて、僕が作ったのは『Whale Living』のタイトル曲と「Lighthouse Melodies」くらいだ。まずは頭で考えてみて、久しぶりにアコギを取り出してみたり、ピアノを使ってコードを並べてみたりしてなんとなく形にはなるものの、なんだかあまり可愛げがない気がして、さてどうしたもんか、と思ったとき、ふとひとつのアイデアが浮かんだ。僕はギターをケースに入れて部屋を出て、川に向かって歩いていった。川原で曲を作ってみようと思ったのだ。鴨川では恥ずかしくてできなかったことを、新しい町でしてやろうと思った。向こう岸のベンチがいいなと思ったけど、ハードケースを持って自転車は乗れないし、橋の向こうまで歩いて行くのは面倒だったので、こちら側の川原で座れるような場所を探してみることにした。よく晴れた昼下がりで風と川のさわさわした音が気持ちよかった。サイクリングロードと川の間にはちょっとした段差があってそこなら大丈夫そうだったので、ちょこんと座ってギターをケースから取り出してみた。じゃーんとコードを鳴らして、メロディを口ずさもうとしてみるけれど、誰かに見られているかも、という状況と、実際にサイクリングロードにはジョギングをしている人が絶え間なく往来していて、その目が気になってか、喉から出てくるのは川の音にも負けるくらいのひょろんひょろんに上ずった声で、すぐに体中の血が顔に集合してくるのがわかった。すごい、と思った。鴨川や駅前の歌ってる人はすごい。もしかしてこの恥ずかしさをちょっと乗り越えたらめちゃくちゃ気持ちが良いのかも、という予感めいた感覚の先のほうには触れられた気がしたけれど、とにかくその日の僕にはそれ以上続けることはできなかったので、あわててギターを片付けてそそくさと川原を後にした。でもやっぱりなんか悔しいから、深夜の散歩中にあの場所に寄って、ちょっと大きな声で歌ってみたりしている。
9年間暮らした京都を出て、東京の郊外の街に引っ越してきた。ベッドタウンの雰囲気はどこか宝ヶ池とも似ているような気がするし、大きな川は育った町の景色にも似ている。今出川や木屋町のように夜遅くまで人がたくさんいる、ということはなくて、12時を過ぎる前からほとんどのお店は明かりを落として、都心から帰ってきた人たちが静かに10分間隔で駅から出てくる音だけがする。僕の住んでいる部屋から、自転車を漕いで少し行くと、工場や物流の大きな倉庫が立ち並ぶエリアがある。そこに人の影も視えないのに確かに工場も倉庫も動いていてその様子がなぜか怖くもあり、なぜか惹かれるものもあってよく夜中に散歩がてら見に行く。幽霊も占いも正直あんまり信じられないのだけれど、目に見えないものの存在を感じることは確かにあって、そんな感覚に昔からどうしようもなく惹かれてしまう。夜の散歩が好きなのも、そんな感覚に出くわすことがお昼や夕方よりも多いからなのかもしれない。朝の散歩があまり好きじゃないのは、人の生活を目にするのがあまり好きじゃないからなのかもしれない。遅くまで明かりがついている家の窓や、玄関に置きっぱなしにされているバケツやおもちゃを観て生活の気配を感じたり、そこからなにかを想像したりするのは好きだ。夜になるとはっきりものが見えないからいい。夜のことを歌にすることが多い。夜のことが好きだし、不思議で仕方がないからだ。でも次のアルバムではちゃんと朝のことも、昼のことも夕方のことも歌にしたいと思っている。見ていないふりをし続けることにもうんざりだし、手にはつかめなくてもはっきりと世界をこの目で見ていたい。
次のアルバムは新しいまちのことのレコードになると思う。それは僕が住むこのまちのことでもあるけれど、場所なんてどこでもよくて、あたらしくなにかがはじまること、はじめること、なにかをかえようとすることについてのレコード。そんな時にはなにを忘れずにとっておくか、についてのレコード。そんなことを、まだ明るいう街をぐるぐるとまわりながら考えている。
大学を卒業して、京都の中心地に近い場所に引っ越した。今出川駅の近くのその街は夜遅くなっても明るくて、それはそれで僕は気にいっていた。夜の散歩は徒歩から自転車に替わり、僕は寂しくなるとすぐに、京都市内を自転車でぐるぐると回った。どこに行っても明るいのはフレスコという24時間営業のスーパーがどの街にもあったからかもしれない。いろんな街のフレスコに僕は用もなく入ってみては、店内を一周した。たまに飲み物を買ったり、次の日の朝ごはんのことを考えたりした。夜中まで開いているご飯屋さんもたくさんあったし、東西南北どの方向に行くのも好きだった。好きな街が増えていく感じがたまらなかったけど、細かい通りの名前は全然覚えられなかった。あの蕎麦屋のある通り、とかまっすぐ行けば山城温泉に出る通り、とかそんなふうにして通りの感覚が身体に染み込んでいった。グーグル・マップを塗りつぶしていくような日々はどこかきらきらしていて、愛おしかった。今出川の駅前や木屋町まで行けば、それが何時だろうと人の声を聞くことができた。別に誰かに話しかけるわけでもないし、どこか馴染みの飲み屋さんがあるわけでもなく、ただざわめきを感じるだけだけど、それで浮かびあがる寂しさがあって、たまにそれに触れてみたくなるのだった。どれだけ歩いても誰にも会うことがない小さくて静かな町の夜の次は、いろんな建物や人がたくさんの声を反射するなかで感じる寂しさを書きたかった。架空の街の13個の景色は『Sale Of Broken Dreams』というアルバムになって。サヌキさんがその街をイラストにしてくれた。
石川から京都に出て、はじめてひとり暮らしを始めたとき、なにより嬉しかったことが夜に自由に散歩ができることだった。別に特別厳しい家だったわけでもないけれど、やっぱり夜遅くに外にでてぶらぶらする、というのはなんとなくはばかられたし、ちょっと散歩に、なんていって家を出ようとして、どこに行くの?と聞かれたときに、「なんとなく」と答えるのはちょっと恥ずかしかった。それでも、どうしても外を歩きたい夜があって、そんなときはSONYのウォークマンをポケットに入れて散歩にでかけた。田んぼに囲まれた小さな町で20分も歩けばすぐにぐるりと一周してしまうから、何度も何度も道を繰り返し歩いた。夜になると真っ暗な町で、誰かとすれ違うこともなかった。
京都に出てきて、最初の4年間は大学がある宝ヶ池という町に住んでいた。ちょっとした山の上にある町で、標高が京都タワーと同じくらいだといわれていた。はじめはいまいちぴんとこなかったけど、自転車で三条や丸太町にでかけるようになると帰り道の重たいペダルがそれを実感させた。静かなベッドタウンで、夜になると真っ暗になってマクドナルドの明かりだけが黄色くぼんやり浮かんでいた。そんな町を、新しく買い替えたウォークマンをポケットにいれて散歩した。夏は苦手なので、寒くなる季節になると毎晩のように散歩するようになった。その頃好きになったUSインディの曲は1人の散歩によく合った。寒さは石川の町とさほど変わらなかったし、住宅と畑ばかりの風景もそんなに変わりはなかった。星もよく見えた。何より町全体がしんと静かで、大学のある町なのにびっくりするくらい誰ともすれ違わなかった。そこにはセットとして組まれた町を1人で歩いているようなそんな不思議な寂しさがあって、それが心地よくもあった。そんな町のことを書いたのが『Somehow,Somewhere』というアルバムだった。
高校を卒業して石川の小さな町を出て、京都の岩倉という同じくらい小さな町で一人暮らしをはじめた。通っていた大学があったその町は、京都の端っこのちょっとした山の上にあって、冬になると他の町よりもぐんと気温が下がった。その町は夜になると本当に静かで、大きな公園とマクドナルドの黄色の看板、寝静まった踏切、ずらっと並ぶ同じような大きさの一軒家がまるでミニチュアのようにみえた。学校がたくさんあることもあってお昼や夕方には人の行き来が多くなるその町だったけれど、年末の何日間だけは昼でも夜と同じように静かで寂しい町になった。大学3年になったくらいから実家に帰るタイミングをお正月から少しずらすようになった。アルバイトをしていた宅配ピザのお店が、クリスマスと年末年始に出勤する人にボーナスをくれていたことが一応の理由にはなっていたけれど、本当のところ、年末年始の時期にあえて1人でいてみたかったのだ。それは僕が実家を出てはじめて手にしたちょっとした自由のひとつだった。
クリスマスには深夜の一時くらいまで営業しているピザ屋さんも大晦日の日にはお昼すぎくらいには閉店した。そのあと夕方まで店内の掃除や食材の在庫の整理なんかをすることになっていたのだけど、僕は忙しい11時から13時までのピークタイムだけの出勤になっていて、お昼すぎには家に帰ってきていた。大晦日独特のなんとなくそわそわした気持ちの置き場がなくなった僕は、町中を散歩して回った。夜にはよく音楽を聴きながら散歩をしていたけれど、昼下がりの時間にぶらぶらと町を歩いたことは、数えるくらいしかなかった。学校へ行くのには原付きに乗っていたし、ちょっとした買い物をしにコンビニに行ったり、近所のブックオフの500円コーナーをチェックしにいくときには自転車を使っていた。静かで誰もいないのに明るい町には夜には見えないものがたくさんあった。家と家の間の細い道やすすけた看板の文字、ずっと潰れているものだと思っていた薬屋の店内、細い川の下に通る小道、古びた洋館のような一軒家の庭のよく手入れされた草花。どれもが夜と同じように寂しかった。いつもよく通る大きな公園とは違う、小さな公園を通ったとき、誰もいない遊具にかすかに人の気配がした。よく観てみると鉄棒に誰かが忘れていった赤いマフラーが巻きつけてあった。巻きつけたのは忘れていった本人なのだろうか、それとも落とし物を見つけた誰かがここに巻いていったのだろうか。それともなにが残していった跡なのだろうか。妙に静かな町の風景の中にある真っ赤なマフラーはなぜか僕の頭の中から離れなくなった。夜になって1人部屋でそばをすすりながら年を越した後、無性に気になって昼のあの公園に歩いていった。当たり前のようにマフラーは鉄棒に巻かれたままだった。僕がはじめて過ごした、いつもと違う年末には、そんなシーンが焼き付いていて、そんな不思議な出来事に出会いたくて、その次の年もお正月には実家に帰らなかった。それからあの町を引っ越してからも、僕はそんなふうにして1人で年末を過ごすことが多くなった。
そんな大晦日のことを歌詞にしたのが『Another New Year』という曲だ。大学生のときに住んできたあの町のことを描いた『Somehow Somewhere』とどこかにある架空の大きな街を描いた『Sale Of Broken Dreams』との間に作った曲で、舞台や風景は『Somehow Somewhere』の町だけど、どこか幽霊のような目に視えないものの存在にも触れているところは『Sale Of Broken Dreams』の世界観とも繋がっている。毎年、クリスマスの時期のライブでは決まって演奏するこの曲は、僕にとって、あの日の静かな岩倉の町と同じ寂しくてどこか不思議な匂いがする。
Homecomingsがクリスマスにイベントやツアーをするようになってからしばらく経った。もともとはメンバーみんながクリスマスソングやクリスマスの映画が好きだから、というところからはじまったこのルーティンだけど。よくよく考えるとクリスマスにイベントをするということはクリスマスを楽しめない、ということでもあって、関わってくれるスタッフの人たちの家族のことも考えるとなんだかそれでいいのか?という感じもする。そういう話もちょくちょくスケジュールを決めるときにでてくるようにはなってきたし、実際去年は少し日程をずらしたりもした(その結果M-1グランプリとモロかぶりしてしまった)。とはいえ、Homecomingsがなんとく冬が似合うバンドと思ってもらえるようになったのはそうやってクリスマスにイベントを続けてきたからでもあって、夏に開催するはずだったホールライブの延期日程の候補リストに12月25日を見つけた時には、迷わず、今年はクリスマスにしよう、と決めた。おもえば2014年のクリスマスイヴに『Somehow
Somewhere』をリリースしてから5年間、僕はクリスマスを家で迎えていないことになる。
京都に住んでいた頃、クリスマスの時期にあるイベントの会場はほとんどが東京だった。当日の朝早くに四条烏丸に集合して、次の日の夜と朝のちゅうど同じくらいの時間に京都にもどってくくる。もちろんそのまま東京で一泊することもあったけれど、だいたいは日帰りが多かった。泊まらせてもらえなかった、というよりはみんな早く帰りたかったのだ。当時付き合っていた恋人のために最後の最後、滋賀の大津のサービスエリアでもなにかお土産になるようなものはないか、と探していた年もあった。25日が終わると街は途端に年末のムードに着替えてしまう。京都にもどってきて、ふらふらになりながら家のドアを開け、一瞬だけシャワーを浴び朝日のなか眠りにつく。お昼すぎに目を覚ますと、街にはクリスマスの匂いがきれいさっぱり消え去っていた。それはやっぱりどこか寂しいことだった。
そんな僕にとって、ささやかで優しい場所があった。丸太町通りから室町通りを少し上がった教会のツリーだ。そのツリーは11月頃から灯りだして、年が明けてもしばらくの間光続けるのだった。こんもりと丸くて高い木に赤と青と緑と黄色の電球がぶら下げられただけのシンプルなツリーなのだけど、その派手すぎない感じが僕はとても好きだった。僕がその町に住んでいた5年間、毎年まったく変わることがないそのツリーは、ケンタッキーやコンビニでチキンを売る人や年末の工事現場で働く人、満室のカラオケ屋さんの店員さんにひっきりなしに行き来する宅配ピザのドライバー、そして僕たちのような人にとって、どんな豪華なイルミネーションよりも優しくそこにあるのだった。
僕が住んできた街にはいつも、川がそばにあった。
高校を卒業するまで暮らしていた石川の町の近くには有名な手取川という川が流れていて、その川沿いには『カントリー・ロード』のジャケットや『かがやき』のMVの撮影で使った手取フィシュランドという遊園地がぽつんとある。海がすぐそばにあったから、泳ぎにいったり遊びに行くことはほとんどなかったけれど、大きな川の上を走るバイパスからの見る大きな夕日のことはなぜかずっと覚えているし、実家に帰ってその道を通る度にはっとしたりする。
京都には鴨川があって、そしてもう一つ、小さくて狭いけれど思い出がたくさんつまった堀川という川がある。僕が住んでいた小さなアパートはそのふたつの川のちょうど真ん中らへんにあって、堀川で告白をして、鴨川で振られたこともある。川で振られるとなんとも言えない気持ちになる。
鴨川はお酒を飲みに行くところ、みたいなかんじがあって、当時働いていたタワーレコードの友達や先輩と仕事終わりに、よくコンビニで買った缶のお酒を片手に三条や四条の河原へ行った。大抵いついっても何組か先着がいて、静かに話している二人組みも、ぼーっとしているだけの人も、カップルもわいわいしている大学生もみんな気持ちが良さそうだった。鴨川にどかっと座りお酒を飲みながら話したことのほとんどはもう思い出せないけれど、それはそれはとても楽しい時間だった。
川と生活の距離は引っ越すたびに近くなっていき、今住んでいる部屋は大きな川のすぐそばにある。大きな駅に行くときには大きな橋を自転車やときどきバスで渡っていく。それが好きなのもあって、僕はわざわざ最寄りの小さな駅を使わずに川の向こうの大きな駅を使う。どんな季節でもどんな天気でもその橋からの眺めはとても良い。たくさんの窓からにじむような生活のリズムと川を渡る電車の影、丘をあがっていく車とバス。そんな景色を眺めながら、なにか新しい発見をするたびに僕は自分が住んでいる街のことをまたひとつ好きになれるような気がする。
僕が今住んでいる部屋は広い間取りの割に家賃がとても安い、その理由は簡単で駅からとても遠いからだ。特急が停まって、買い物にも事欠かない大きな駅までは歩いて30分ぐらい。一応最寄りとなっている、各駅しか停まらない小さな駅でも歩いて20分ぐらいかかってしまう。大きな駅のほうが本屋があったり緑が多かったりして、わざわざ遠い方の駅を最寄りの駅と思い込むようにしている。それは自分にとってとても気持ちがいい選択で、毎日川を超えて駅に向かう道のりにはひらめきや小さな発見があったりする。ちょっとしたことで生活の見晴らしは変わるのだ。とはいえ、京都に住んでいた頃からどこへいくにも自転車で移動していた僕にとって駅までの距離なんて大したことはなくて、こっちに引っ越してきてからの一年間、特に不便に感じたこともなく、毎日ペダルを漕いで色んな場所へ行っている。
住んでいる部屋のすぐそばにバス停がある。それに乗れば大きな方の駅前まで連れて行ってもらえるし、逆方向のバスに乗れば普段使わない路線の駅まで行くことができる。どちらももちろん自転車でいくことができるのだけど、たまに、月に一度か二度くらいの頻度で無性にバスに乗るたくなることがある。高校を卒業するまで暮らしていた石川県の街でも、そのあと9年間暮らした京都の街でもほとんどバスに乗ることはなかった。暮らしの風景のなかのバスは乗るものではなくて、街を走っているのをみるもの、いわば風景の一つだった。たまに『ゴーストワールド』やシャムキャッツの『GIRL
AT THE BUS
STOP』なんかを思い出してはバスっていいなーと思うくらいのもので、実際に乗ってみよう、とはなかなかならなかった。狭くて車が多くて、のろのろと市内を進む京都のバスは僕が憧れるバスとはちょっと違うのだった。引っ越してきたこの街は大きな川のそばののどかな町で、バスの窓がよく似合う。特に真っ昼間がいい。自転車で何度か通った道もバスの四角い窓からみると少し違って見えて、なんだか新鮮だ。駅と駅を結ぶこの路線のバスは、途中でなにもないような場所にぽつんと置かれたバス停に、ときたま思い出したかのように停まっては誰かを降ろして誰かを乗せる。降りた分と同じだけの人が乗ってくるこのバスはがらがらになることもなければ、いっぱいになることもない。見ず知らずの人同士の生活のリズムが生み出した不思議なバランスに気づき、つい文庫本をめくる手をとめてしまう。なにか物語のかけらのようなものを拾ったような気がして、考え事をしてみるけれど、陽の光で暖かくなった窓のそばはあまりにも気持ちが良すぎて、ふと気がつくとうとうとしてしまうのだった。
【グッズ販売に関しての注意事項】
12/25(金) 東京・日本橋三井ホール"BLANKET TOWN BLUES"におきまして、会場でのグッズ販売は、昨今のコロナ禍の影響を受けお客様の会場での混雑を避けるため実施しない予定です。その為、通販のみの販売となりますので何卒ご理解のほどお願い致します。